「歌わない自由」~つらいときに出会った曲たち

SEKAI NO OWARI の 「プレゼント」

さっきスーパーで流れていた。この曲は、2015年のNコン(合唱コンクール)の課題曲。ちょっとした思い入れがあるもので感動してしまった。

その時のこと

2015年のNコンが行われていた頃、前職で、社歌のようなものが作られた。
社長が気に入った歌手にお願いし、数々の注文をつけて出来上がった社歌、それは「社長からのプレゼント」と表現された。

この社歌は、朝昼夕と放送で流され、イベントで歌われ、毎月の朝礼でどこかの部署が強制で歌わされていた。業務外で時間を取られながら皆練習していた。そのことに強烈な違和感を持ちながら、どうにかならないかとずっと悩んでいた。

そして自分がいる部署にも「〇月の朝礼で発表してもらいます」という声がかかった。

しばらく一人で悩み、上司と、2つ上の上司に抗議した。他の誰も文句を言っていなかったが、自分は言ってしまった。その結果、「業務としてやるのだから、それに他部署との親睦にもなるのだから、きちんと参加しなさい」と言われた。定期的に練習があった。夕方定時30分前から30分後までの1時間。定時後は一応「任意」とされているが、実質誰も帰れなかった。
自分は、その練習に数度参加し、数度さぼった。さぼった日は上司から注意された。悔しい気持ちでいっぱいだった。私はエンジニアになるつもりでここにいたが、もはやエンジニアではなかった。「エンジニアの死」だと思った。

トップダウンで、上から気に入られることが何よりの処世術であったこの職場。抗いながら「終わった」という言葉が心をよぎった。その会社で業務に携わるための技術は問題なかった。力になれる要素はいろいろあったのに、それが叶わなくなることをとても悲しく思った。

アパートで

その時から、簿記の勉強をしようとアパートを借りて一人で過ごしていた。もう、ここで資格を取らないと、会計ソフトエンジニアとして本当に死んでしまうと危機感を持ったからである。

アパートで、イベントでの合唱に駆り出された人たちのことを考えていた。おとなしくて心優しい目の前の席に座っていた人。その人は取りまとめの人のお願いに、とても断りたさそうに「しかたないですね」と答えていた。そのとりまとめの人も本当は優しい人だったのだけど、社長の要求には絶対逆らえず、板挟みで最も苦しんでいた。その勧誘を見て辛かったが、私は大人しくしていた。

そしてイベントの日、いくつものグループが同じ曲を延々と歌った。皆死んだ目で。

勧誘されているのを見たとき、一吠えしておけばよかったと、後悔した。心優しい人たちを守れたなら・・・と思った。

そんな風に思い出す中、ラジオをつけるとNコンをやっていた。

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SEKAI NO OWARI「プレゼント」 - YouTube

 

 

自分のいた中学も合唱に力を入れていたから興味があった。本気で合唱に取り組んできて勝ち残った人たちの発表を聴いて、感動した。

「人生」のこと
あまりにも問題ばかり起きるから
難問解決プログラムなのかと思っていたけれど

気付いたんだ「プレゼント」みたいなものなんだって
何十年か好きに生きていい特別なプレゼント

自分にとって、その時起きていたことは、今後の働き方を左右する大きな問題だった。
だから、この歌詞が心境に重なった時、じんと来るものがあった。

今歌わされているものがやはり何か大きく間違っていること、
そして今いる場所で苦しまなくても、自由に、歌いたいときに歌いたい歌を歌える場所に行けばいいじゃないかと思った。

その後、職場のほうは、こんなに歯向かったにもかかわらず、やりがいのある仕事をさせてもらった。しかしこの件で、会社が人をどのようにみてどのように使うのかがわかってしまい、失望してしまった。やりたい仕事がある限りここで働こうともしたが、その後頑張っても昇格などの評価がなかったので結局辞めることにした。

 

椎名林檎の「ありあまる富

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合唱の強制に何かを奪われている気がして、イライラしながら仕事をしているとき、ある人がこの曲を教えてくれた。

合唱の強制で心の中を「自由の死」「エンジニアの死」という言葉が何度も行きかった。魂を捨てて、「自由」をテーマにしている歌を歌わされることは、自分の中にある大切なものを奪われることだと思った。組織のシステムに組み入れられながら「自由になれ」と歌う姿はもう、"Arbeit Macht Frei!"(働けば自由になる:ユダヤ人収容所に書いてある標語)並みの皮肉なことだと感じた。

それに対し、もっと軽い気持ちで考えてもいいのではないかと言ってくれ、この曲を教えてくれた。

私の気持ちの根幹は揺らがないが、確かになと思った。何かを奪われるような焦りは必ずしもいらなかった。余裕をもった気持ちで向き合うこともできるのだと知った。
それでも、人の心の自由を奪おうとする力には、やはり断固とした態度をとりたい。

 

こんな感じで、歌うことを強制されることはつらかったけれど、そこで素敵な曲に出会い、支えられながら悩みぬいて行動できたことは、本当に価値のあることだったと思う。今は正反対の環境に身を置くことができたけれど、人生は本当に難問だらけで、様々な葛藤と向き合わなければならないので、そんなときにまた素敵な曲に出会えることを願っている。