転職しての感想

2018年9月、2012年から勤務していたソフトウェア企業から、同じくソフトウェア開発を行う企業に転職しました。

転職までの経緯

理由・経緯は以下でも書いていますが、時系列で書いてみたいと思います。
http://pgcityblog.hatenablog.com/entry/2018/08/31/131554

2012年

新卒入社した時、自分の思い描いた分野の開発ができることを期待して入社しました。

2013年、2014年

繁忙期の残業などを忙しく働いて乗り切るような毎日でした。
業務内容は言われた開発を単純に行う感じでした。

2015年:業務と関係ないことをやらされる

少し雲行きがおかしくなりました。
入社当時からチームワークを過度に重んじる空気がありましたが、これが極端になってきました。

まず「会社のイメージソングができました。なのでみんなで歌いましょう。有志のチームで、イベントで発表してもらいます。(頭数は必須)」
という話になり、まず、周囲の人が合唱チームというものに次々引き抜かれて業務を抜けるという光景を目にしました。

心に残っているのは、周囲の大事な同僚に合唱への勧誘をする、合唱の中核メンバーです。
「~~こういうわけで、どうしても参加してくれる人が必要になっちゃったんだ。」
「(いやそうに)なら仕方ないですね~」

断るのが苦手な優しい人が多かったのですが、この光景を見るのはつらかったです。
さらに、その数か月後、自分にとっても避けられない事態になってきました。

今度はこういう話が上がってきました。
「会社のイメージソングを、朝礼で順々に発表してもらいます。〇〇さんは△△チームで、××月に発表です。□□日から業務時間後に練習があります。(残業代は出ません。任意です(半強制))」

私は、もともと歌を歌うことが苦手なのですが、
それ以上に、「自由」がテーマの曲を強制で歌わされることが許せませんでした。
また、強制なのか任意なのか、そして業務なのか非業務なのか、そういったことをあいまいにして人を使おうとする会社の姿勢が問題と感じました。

私は上司に、合唱の練習には参加したくないと告げました。
「これは業務だから、参加しなければならない」と返されました。
さらに上にも伝えました。
このようなことで上司の気分を害させてしまうこと、この会社で落ち着いて成長していきたかったのに、それを許容できないほどの事態になっていることが、とても悲しく思えました。

一方で、この問題は多くの人がたびたび愚痴として話すのに、誰も、公の場で異議を唱えることはなかったのです。

ひとまず私は、歌を歌わずにその場にいるという選択をし、周囲から多少の文句を言われながらも、事態の収拾がつきました。
(とはいっても、遠い部署から文句があったらしいので、問題児扱いではあったようです)
この時点で、会社が向かいたい方向が、事業ではなく、内輪での結束に過ぎないことを確信しました。
しかし、私にはまだ、転職を決意できるほどの材料もありませんでした。

2016年、2017年 業務は高度化、しかし報酬は変わらず

これだけの問題がありながらも、少しずつ好きな業務が回ってくるようになりました。
しかしながら、評価には会社への忠誠が重視されることから、業務の割には評価もされていないように感じていました。

実際のところ評価は一段階上がっていたのですが、会社の業績が悪く、評価のメリットを感じられたことは一切ありませんでした。

報酬は変わらないが、業務は高度になってくるという状況で、転職への思いや、職務経歴書に書けるネタは着々と蓄積してきました。

2018年 転職を決意

自分も30代に入り、早めに転職をしておかなくてはという思いもありました。
2017年に一度エージェントとやり取りしたが中断したという経緯を踏まえ、今度は期限を決めて、1か月でスパッと決めようと決意しました。

5月「6月から本気出す」と決意しました。
6月、本気で活動を開始しました。
リクルートのサービスに登録し、いくつかのエージェントに会いました。
背水の陣を敷き、理由を問われながらも有休を全力で使って企業を訪問しました。

7月、本命から内定をもらいました。
8月、引継ぎが少々面倒でしたが、何とか退職手続きをでき、有休を消化しました。
9月、正直言って長すぎる休暇を過ごし、転職先に入社しました。
   おまけに、この長い休暇で極度の孤独を感じ、婚活を始めました。
   年収も上がったので、自信をもって活動できそうです。

感想

まだ日数を重ねていないですが、転職には良い面も悪い面もあり、それでも総合的にみてよかったと感じます。

慣れない仕事や、一段高いレベルの成果を求められることには厳しさも感じます。
しかし、転職しなければ得られなかった体験を、これまでには信じられないほどのペースで消化していることに気づかされます。

転職しなければ目まぐるしい変化はなく、穏やかです。
しかし、日々気付きがない仕事が、自分の人生に何かをもたらすか。
本当に求めているのは、ただ社内で承認されることだけではなく、自分の至らなさに気づかされ、嘆き、もがき苦しみながら日々を送り、その結果次々と表情を変えていく世界を見ること、変わっていく自分自身の人生を感じることなのだと考えました。

私は今まで、「今日を耐え忍び明日を待つ」ということをしていました。転職によってこれをやめ、「今」を生きていることを強く感じます。
たびたび、刹那的な生き方と対照的にとらえていましたが、「今」を真剣に生きることは、それとは違うことに気づきました。

先日「いつ転職すべきか」という話を友人と少しだけしましたが、こう答えました。

「すべては「今」だと思います。」

本当に充実した今を作れるなら、未来を考えないことにはならないと信じ、今日という人生の一コマを、大切に生きていきたいと思っています。